ラベル ランニング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル ランニング の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2024/08/15

聖火リレー参加記(2020東京オリンピック) 


健康づくり史番外編(2021.7 54歳)



2021.7に東京2020オリンピック聖火リレーに参加しました。

写真の一番右奥が私です。






私自身の記録として、選出までの経緯を含めて、過去のメールなどを見つつ思い出しながら記載したいと思います。

抽選に向けて行動を起こしたのは2019.8下旬。


2019.8
通勤途中にたまたま目にした聖火ランナー募集のWebページで、募集期間があと数日で終了することを知りました。
当時は非常に仕事が忙しく、通勤電車の中でも仕事をする有様でしたが、その通勤電車に乗っている時間を利用して確か400字程度の応募に必要な文章を書きました。これも記憶が定かではありませんが、応募は自身の自治体+5社程度のスポンサー企業経由で申し込むことが出来、重複はOKとのことだったので6つ申し込みができるのですが、十分な時間が取れず、4つ程度申し込んだ記憶があります。
応募文章(※1)に何を記載するか迷いましたが、選定にあたっては独自性や希少性が重要だろうと考え、盲導犬の候補犬育成ボランティア活動を中心に記載しました。



2019.12.25
聖火ランナー選出(当選)
2019.8の最初の応募以降1回目の書類審査通過の通知がくるとともに、二次審査に向けてさらなる対応を求められました。この時のテーマや記載した内容は記録が残っていませんが、その後クリスマスの日に次のメールが届きました。ものすごくうれしかったことを記憶しています。

はじめまして。
2019年も残すところ、あと僅かとなりましたが、
皆様、いかがお過ごしでしょうか?

私たちは、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会
(以下、「東京2020組織委員会」)において、
「東京2020オリンピック聖火リレー」の聖火ランナー関係の業務を
担当する「東京2020オリンピック聖火ランナーデスク」と申します。

ここで、私達から、あなたに素敵なお知らせがあります。

-------------------
おめでとうございます!!
厳正な審査の結果、
あなたは、正式に東京2020オリンピック聖火リレーの
聖火ランナーに選ばれました!
-------------------

もうすでに、あなたが申し込みをされた応募先からお聞きになっている
かもしれませんが、このメールが東京2020組織委員会からの
正式な通知です。
その喜びをご家族やお友達など、みんなに伝えてください!
.....



2020.1
聖火ランナーは全員
  • 大切な人との絆にまつわる具体的なエピソード
  • 聖火ランナーとして走ることへの意気込み
  • 地域に伝えたい想い、または地域から発信していきたい想い 

を登録することとなっているようで、その登録内容(※2)の最終確認がありました。


2020.3
初旬に走行日と時刻などの連絡があり、いよいよ近づいてきたと思っていた矢先、その約3週間後にコロナの影響により延期の連絡がありました。当時オリンピック自体もどうするのか世間的に議論になっており、併せて聖火リレーがどうなるのか気をもんでいました。


2020.12
延期されたことにより、再度2021.7聖火リレーの走行意思確認があり、もちろん快諾。


2021.3
ニッセイより応援グッズが自宅へ届く(私はいくつかのルートで応募したうち、日本生命経由のものが当選しました)


2021.6
約7万円で聖火リレートーチ購入。聖火ランナーに限り、聖火リレー当日に自分で使ったトーチを持ち帰ることができるというもの。約1か月前までに購入意思を示すこととなっており、少々高額なので迷いましたが、誰でも購入できるものではないこともあり一生の思い出と思って購入しました。


2021.7 走行予定日の約1週間前
まん延防止等重点措置を受け、公道での聖火リレーを中止し、もともとセレブレーション会場として予定されていた陸上競技場で点火セレモニーのみを行なうこと、聖火ランナー1名につき最大4名の家族・友人の入場が認められる旨連絡あり。公道を走ることが出来たらどんなに良かったかと思いますが、あの状況下では仕方なかったと思っています。


2021.7 走行予定日の2日前
NHKより「聖火リレーデイリーハイライト」で私のことを紹介したい旨連絡あり。この番組は聖火リレー当日のハイライトを5分にまとめて毎日放送しているもの。
もちろん紹介することを快諾。その後走行日の夜(確か当日の23時ころ放送)まで約2日間にわたり、紹介時の写真送付やテロップ確認など頻繁にやり取りしました。
本放送は走行日当日の夜と翌朝のニュースで放送されました。こちらも一生の思い出となりました(もちろん録画しました)。
ちなみに、聖火ランナーの当選倍率は確か約100倍程度、毎日100人前後走る中で本放送で紹介される方が4~5名なので約20倍とすると、約2千倍の確立に当たったことになると思うと感無量でした。


2021.7 聖火リレー走行日当日
事前に当日のスケジュールがメールで送付されてきました。それ自体なくしてしまったのですが、分単位で記載されていたことを記憶しています。
確か午後一に会場へ集合。
その後体育館で全員に向けた説明会があり、その場で全員へトーチが配られました。多分70~80名くらいだったと思います。
説明会の隙間時間で周囲の聖火ランナーといろいろ話をしましたが、過去にオリンピックに出場した方や、地域貢献活動をしている方などみなすごい方ばかりで、「なぜ私なんかが選ばれたんだろう。。。」という気持ちになりました。また、この場で周囲の方のほとんどは、トーチは自身で購入したのではなく、スポンサーが費用を負担してくれたと話しており、(私は自己負担だったので)この点は少々残念に感じました。

右奥が私
その後競技場で点火セレモニー。このような感じで間隔をあけつつ15~16人程度が並びました。観客席は聖火ランナーの家族や友人(各4人まで)と関係者のみだったので隙間だらけでした。
右側が私
このような感じで聖火を順次リレーしていき、その後会場に設置された聖火台?に点火するというものでした。メディアの方たちがカシャカシャと写真を撮ったりカメラを回したりしてくれ、少々スター気分が味わえました。
右奥が私
その後全員が体育館へ戻り、このセレモニーに臨むにあたっての意気込みがどうであったか、実施しての感想はどうかなどについて一人一人インタビューを受け、その様子がWebページにアップされていました(いまはもうありませんが)。

また、私の場合はNHKの収録がところどころであったり、完了後には新聞の取材を受けたりなど、一生の良い思い出となりました。

これは当時預かって育てていたパピーと共に後日自宅で撮った写真です。










予定通り公道で一般の方たちに囲まれて聖火リレー、トーチキスが出来たらどんなにか良かったかと思いますが、あの状況では仕方なかったですね。。。。
ボランティアの方たちを含む関係者は大変だったのだと思いますし、選手の方たちはより一層そういう気持ちが強かったと思います。
先日まで開催されていたパリオリンピックでは「東京はこうだったな」と思い出しながら観戦しました。




※1 応募の際の文章

街づくり・持続可能性
私は家族ぐるみで盲導犬の育成ボランティアを務めています。既に6年間続けており、現在は4頭目のパピーを育てています。 生後約2か月で盲導犬協会から預かり、その後約1年間育てます。預かるときは体重が5~6kg程度しかなく、また排泄も決まった場所でできなかったり夜はケージに入れると泣き続けるなど大変な状態がしばらく続きます。しかし家族皆で楽しく過ごしながら躾けを続けることで、排泄の場所を覚え、家族や家のことを覚え、散歩でも落ち着いて歩けるようになり、近所の犬とあいさつを交わすようになるなど、徐々に成長していることを実感します。1年後には体重が20kgにもなります。
1年間家族同然で過ごした後に協会に返す際の別れは大変つらいものなのですが、犬にとっては我が家からの卒業です。 私たちのこの活動が目の不自由な方々が自由に行動できることに貢献しているという充足感を糧に、これからも家族一丸となってこの活動を継続する所存です。


※2 聖火ランナープロフィール

【大切な人との絆にまつわる具体的なエピソード】


私は家族ぐるみで盲導犬の育成ボランティアを務めています。既に6年間続けており、現在は4頭目のパピーを育てています。 生後約2か月で盲導犬協会から預かり、その後約1年間育てます。預かるときは排泄も決まった場所でできなかったり、また夜はケージに入れると泣き続けるなど大変な状態がしばらく続きます。しかし家族皆で楽しく過ごしながら躾けを続けることで、排泄の場所を覚え、家族や家のことを覚え、散歩でも落ち着いて歩けるようになり、近所の犬とあいさつを交わすようになるなど、徐々に成長していることを実感します。 1年間家族同然で過ごした後に協会に返す際の別れは大変つらいものなのですが、犬にとっては我が家からの卒業です。 私たちのこの活動が目の不自由な方々が自由に行動できること(つなぐ、支えあう)に貢献しているという充足感を糧に、これからも家族一丸となってこの活動を継続する所存です。


聖火ランナーとして走ることへの意気込み】


盲導犬育成ボランティアをしている私が走ることで、体の不自由な方へ少しでも勇気を贈ることができればと思っています。また、私は趣味でマラソンとトライアスロンをやっており、多くの大会に参加してきました。日頃よりスポーツを通して自分自身の成長につなげるとともに同時に周りの方に勇気を贈ることができればと思っています。今回聖火ランナーとして走ることで今後もスポーツを継続するという自分自身の決意につなげたいと思っています。

【地域に伝えたい想い、または、地域から発信していきたい想い】

私は現在我が家で取り組んでいる盲導犬の育成ボランティアの活動を通し、体の不自由な方であっても自由に楽しく生活できる街づくりに貢献していると思っています。地域には別の形で街づくりに貢献している人は多くいると思います。その方々を含めた地域の人々が聖火リレーを機会に一堂に集い、それが地域の一体感を高めることにつながれば何よりです。





にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。
にほんブログ村

2024/08/14

自分の健康づくり史Part5(マラソン、トライアスロン大会戦歴等)


健康づくり史Part5(2017.3 50歳 ~ 2024.3 57歳)
※タイムはすべてネットです




  •  2017.3(50歳)板橋cityマラソン(フルマラソン13回目)

タイム 3:45:45


この大会はまったくの練習不足。筋トレも全くやらなかった。

陸連登録したため、スタート直後の混雑はまったくなかったが、早くも折り返し後には徐々に足がつらくなり、後半は何度となく歩く走るを繰り返す羽目となってしまった。


さぼり具合がしっかりとタイムに表れた大会だった。


  • 2018.3(51歳)板橋cityマラソン →DNS
練習不足や仕事の忙しさにかまけてDNS

 

  • 2018.9(51歳)佐渡国際トライアスロンAタイプ →DNS
練習はそこそこしていたが、ロードバイクに乗った際の腰痛が徐々にひどくなり、ランにも影響し出したことから苦渋の決断だった。


  • 2019.3(52歳)東京マラソン2019(フルマラソン14回目)

タイム 3:30:43


今回の大会前は3度の右ふくらはぎ肉離れに見舞われ、都度3~4週間休息期間を設けたのでまともな練習ができなかった。
1回目 8/4(8/25まで練習できず) 
2回目 9/24(10/20まで 〃  ) 
3回目 12/27(1/19まで 〃  )

月間練習量は次の通り
 7月 156km
 8月  46km 当選連絡 8/25
 9月 180km
10月 101km
11月 221km
12月 199km
 1月  72km
 2月 198km

また、怪我が多く気が緩んでしまい、筋トレもたいして実施しなかった。

途中で肉離れになってしまうのが怖かったので、ネットで調べつついつもより少々入念にテーピングを施した。素人なので効果のほどは怪しいが、気持ち的に少しでも安心できればと考えた。

今回は陸連登録の上で大会に臨んだが、スタートブロックは後方のEブロック。近頃は陸連登録かどうかは関係ないようであった。

 

天気はスタート前から雨(だったが、走っているときはまったく問題なし)。スタート後は少し混雑していた。結果のタイムは大したことはなかったが、今までで初めてネガティブラップ(ゴールへ向けて徐々にペースを上げること)を実現。時計の誤差で前半のペースを見誤ってしまった影響もあり、3.5hをわずかに超えてしまったが、ゴール時には少し余力が残っているほどだったのでもう少し早めにペースアップすればよかったと後悔した。 

今回は私にとって、コースが変更(以前は東京ビッグサイトがゴールだったが、東京駅前のゴールに変更となった)されてから初めての東京マラソンであった。ゴール後の着替えの場所は少々遠かったが、東京駅前ゴールのほうが華やかで良いと思った。


  • 2021.7(54歳)東京2020オリンピック 聖火リレー

こちらは健康づくり史という視点では少々番外編となりますが、高倍率をかいくぐり何とか当選・参加することが出来、一生の思い出となりました。別記事としてアップしたいと思います。


  • 2022.3(55歳)東京マラソン2021(フルマラソン15回目)

タイム 3:58:14


パンデミックで大会自体を実施するかどうかが直前まで決まらず、全く練習に身が入らなかった。一度は2021.10.17実施予定であったが、再延期となってこの日の開催となった。

また、 パンデミック後の大会ということで、次のような大会だった(初めてのことだらけだった)

  •  荷物預かりはなし(ランニング用のリュックをしょって走った)
  • 1週間前から体温を記録(アップロード) 
  • ランナー全員PCR検査要
  • スタート前後はマスク着用必須


今回は陸連登録をしなかったが、前方のBブロックからのスタートでほとんど渋滞はなかった。練習不足と認識していたので最初からサブ4ペースで走ったが、20km以降はずっときつい状態であった。トイレには2回寄ったが、2回目の大の際にズボン後ろにつけていたランニングポッドを落としてしまった。拾えないこともなかったがその勇気がなく、一緒に流してしまった。。。手痛い出来事だった。

フィニッシュタイムは当初狙った通りサブ4をギリギリ達成。練習不足だったのでまずまずの結果だった。ランニングポッドを落としてしまったことを除けば。

 

  • 2024.3(57歳)東京マラソン2024 → DNS
そろそろ練習量を増やさないとまずいと思っていた2023.11に膝を痛めてしまい、通院の結果「半月板断裂」との診断。多分今後走ることはできなさそうです。詳細はこの投稿に記載しました。

 

走られる方は同じ過ちを犯さないようご注意ください。


このシリーズは良くも悪くもこれで完結となります。


 Part4に戻る


にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。

にほんブログ村



2024/07/21

ランニングできない膝になってしまいました

「半月板断裂」。私の左ひざの診断です。おそらく今後二度と走ることはできなさそうです。

先週と本日試しに少し乗りましたが、ロードバイクであれば多少は乗っても大丈夫そうなので、今後の健康づくりのための運動※はロードバイクを継続しようと思います。

※私の運動の目的は「アルコールを含む飲食を罪悪感なく心ゆくまで楽しめるようにすること」です

自分の備忘のため、経緯を以下にまとめておきたいと思います。
ランニングをされる方は私と同じようなことにならないようくれぐれもご注意ください。
また、もし役に立つようであれば、一つの事例として参考にしていただければと思います。

  • 2023.11まで
ランニング、トライアスロンなどを10年以上継続的に実施。ここ1年くらいは毎週末20~25km程度をゆっくりとランニング。たまにロードバイク100km弱。さらに、毎朝犬の散歩で1時間弱のウォーキング。 
  • 2023.11
日曜日にいつも通りのランニング(LSD)25km。当日はいつも通りで全く異常はなかったが、翌日左ひざが完全には曲げられない状態(正座できない状態)になる。

その後徐々に左ひざ外側 が腫れてきたため、翌週月曜日に整形外科へ通院。水を抜いて薬を注入。水は褐色で血が混じっているなどの所見はないとのこと。

  • 2023.12
通院を始めてから約1ヶ月半程度は、毎週通院して水抜きと薬注入を継続。この頃は普通の歩行では痛みはなかったが、膝を完全に曲げられない状態は変わらず。

2024.3に東京マラソンへの参加を予定していたが、 症状が改善しないことから断念(といってもキャンセルの手続きはないとのこと。今後の抽選結果に影響すると嫌なので、電話でDNSとなることを伝えておいた)。

  • 2024.1
症状が全く改善しないのでMRI撮影。診断結果は「内側半月板断裂・半月板関節包靱帯損傷、前十字靭帯・内側副靱帯軽度損傷、軟骨菲薄化疑い」とのこと。

水がたまる症状は徐々に改善し、1月下旬に 抜く処置を行って以降は実施せず。  ただ、この頃より通常歩行でも痛みを感じるようになり、犬の散歩も足をかばいながら歩く始末。なので、散歩の時間も1時間程度から20分程度に減らすこととなった。

この頃より患部へのお灸を開始。 

  • 2024.2
ネットで調べると、半月板は血管が少なく自然治癒は困難とのこと。なので、手術も視野に別の大きな病院への通院を開始。

そこでは、すぐに手術をするような症状ではないとのことで、運動療法( 椅子に座って膝を曲げ伸ばし)を勧められ、しばらく様子を見ることに。

  • 2024.3~6
運動療法も毎日はできなかった(ついさぼってしまい)が、あまりにも症状(通常歩行でも痛みがあり、かばいながら歩くような状態)が改善しないことから、後半は1日おきくらいには実施していた。

また、4月下旬より月一度程度鍼灸院へ通いだした。ここでは「この程度の症状で本当に手術を選択肢に考えているの?やめた方が良い」と言われた。

運動療法や鍼灸の効果か、6月下旬ころより症状が多少改善。 左足接地時は母指球に体重をかけることを意識(ランニングと同じですね)しながら歩けば、それほど痛みは感じない程度となった。犬の散歩ももともとの1時間程度に戻すことが出来た。ただ、左ひざは完全には曲げられない状態はまったく変化なし。

  • 2024.7
上旬に最後の通院。手術は行なわず、このまま様子を見ることを伝えた。手術を行わないことに決めた主な理由、そして医師から伝えられた主なことは次の通り。

      • 年齢的なこともあり、手術をしたからといって完全に元に戻るかはわからない(手術で改善が見込めるのは、急な衝撃などで痛めた場合。私のように長年の負荷で徐々に痛めた場合はあまり改善しないケースもあるとのこと)
      • ランニングの再開は厳しいかもしれない。急にこのような症状になることはないので、何かしらの予兆があったはず。
      • 筋力低下は良くないので適度な運動は大切。膝に負荷がかからない運動が良い。ひねる動作はNG。(自転車はサドルに座るので膝に負担がかからず良いのではとのこと)


膝を痛めて以降、結局(手術など)何もしないと決めるまで半年少々。振り返ると「治療をあきらめ、ランニングを再開できない膝であることを受け入れる」ためにこの期間が必要だったのかなと感じています。


ひざを痛めてから全くランニングは行なっていませんが、先週末(ユーロトイ相模原まで往復約50km)と今週末(羽田まで多摩川沿い往復約65km)ロードバイクに少々乗りました。途中で膝が痛くならないか?ビンディングを外すときのひねり動作を繰り返すことで痛みが生じないかなど不安でしたが、とりあえず大丈夫でした。


今後マラソン大会やトライアスロンへの参加、旅ランなどの楽しみはなくなってしまいましたが、ゆっくり無理せずロードバイクを再開したいと思っています。


今朝多摩川沿いを走った際の写真を掲載します。

二子玉川周辺


丸子橋周辺

羽田空港近くの旧穴守稲荷神社大鳥居



にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。
にほんブログ村

2024/04/01

自分の健康づくり史Part4(マラソン、トライアスロン大会戦歴等)


健康づくり史Part4(2016.2 49歳 ~ 2016.9 )
※タイムはすべてネットです




  •  2016.2(49歳)東京マラソン(フルマラソン12回目)

タイム 3:14:07


この大会は自分なりには本気でサブ3を目標に事前練習を頑張った。きっかけは前年9月の佐渡トライアスロンで知り合った方からあるランニングの本を勧められたこと。

それまでは普段漫然と走っているだけであったが、本に掲載されていたメニューに従い、LSDやロング走、ペース走など毎回練習内容を決めて、距離やスピードに変化をつけて走るなど、練習内容を抜本的に変えた。まずはこれに従って(9月のトライアスロン参加後体調を崩したので)10月から大会本番の2月迄の5か月間の計画を立て、それに沿って練習することを実践した。


10月から2月迄のランニング距離は次の通り。

      • 10月 286km
      • 11月 292km
      • 12月 351km
      • 1月  263km
      • 2月  89km(2/28東京マラソンの前まで)

毎回走った後のストレッチやアイシングは欠かさなかったが、1月からは脛やふくらはぎなどあちこちが少しづつ痛み出し、1月下旬には歩くだけでも痛む状態に(多分シンスプリント)。一定期間走るのをやめては走って足を痛めるの繰り返しで、いつも足の様子を見ながら練習量を調整していた。特に2月はほとんど走ることが出来ないまま本番を迎えた。


事前に痛みを予防もしくは和らげるためのテーピング方法を調べ、見よう見まねでテーピングをして本番に臨んだ。

足を痛めた状態での出走だったので、自己ベスト更新も困難と思っていたが、数十秒だけ更新することが出来た。


今回は計画的に練習をして臨んだ初めての大会であったが、後半はけがにより思うように練習ができない状態に陥ってしまった。ちょっとした痛みなど体の声から目を背けてしまい勝ちだが、しっかりとそれを直視し、その状況に応じて練習の計画を見直す勇気が一番大切と痛感した大会であった。 




  •  2016.9(49歳)佐渡国際トライアスロンAタイプ(トライアスロン5回目、ロングディスタンス2回目)

総合タイム・順位 14:43:59・386/990

 スイム     1:50:06・850

 バイク     8:01:52・630

 ラン      4:52:01・174

年代別順位         100/222

本大会Aタイプの完走率    62.7%



今回の大会はとにかく気温が高く(主催者発表で正午時点33.6℃)暑さとの戦いであった。その影響もあり、全体の完走率も前年と比較して大幅に低い厳しい大会だった。

 

今回も金曜日午後に佐渡入り。同日夕方に受付と説明会を済ませた。毎回子供からのメッセージカードに勇気をもらう。

 




3回目の佐渡にもかかわらず、仕事が忙しく宿の予約時期を失念して遅くなってしまい、1回目同様会場まで遠く離れた両津地区のホテルとなってしまった。そのせいか、ホテル内で自転車を準備するスペースは十分に確保されており、広く使うことが出来た。

 

2年前に両津地区に泊った際はBタイプでスタートが多少遅かったので大会当日朝にバイク自走で会場入りしたが、今回はスタートが6:00ということもあり、大会前日の土曜日に会場までバイクで自走して会場にバイクを置いておき(一晩警備してくれるようだった)、大会当日は主催者運行のバスを利用する計画を立てた(夜中3時過ぎにホテル出発)。写真は土曜日に会場までバイクを持っていく途中にすし屋で食事した際の写真。カーボローディングなのでOKと自分に言い訳し、おいしい寿司を大量に頂いた。 

大会当日スタート前トランジションエリア。一番手前の白いのが私のバイク。みなトランジションタイムを少しでも短くすべく思い思いの配置でシューズやヘルメット、ゼッケンなどをセッティング。




いよいよ6時スタート。私はスイムが超ヘタなので、前回同様最後尾あたりからゆっくりスタート。右奥の黄色いブイのところで右に曲がり、その後さらに右に曲がる3角形の約1.9kmのコースを2周する。これも前回同様少しでもまっすぐ泳ぐために写真右に少し見えるブイに沿って泳ぐ。左の黄色いウエアーを着てサーフボードに乗っているのはレスキューの方々。私は見ていて危ういのか何度も「大丈夫ですか?いつでもやめていいんですよ」と声を掛けられ、その都度「もう少し頑張ります」と応えて泳ぎ続けた。また、最後のほうは少々波立ってきたが、なんとかスイムゴール。

 

毎度のことだが、トランジションエリアに戻るとほとんどバイクは残っていなかった。気を取り直してスタート。前半は快調に進んだが、(おそらく気温の影響もあったと思うが)半分もいかないうちに暑さできつくなってきた。後半は途中から頭痛、吐き気、眠気がだんだんひどくなり、ヘロヘロだった。エイドステーションでは多くの人が地面に座ったり横になったりして休んでいた。何度も途中棄権を考えたが、コース途中で棄権して自走で戻るくらいであれば遅くてもよいのでトランジションエリアまでは走り、そこで棄権しようと決めた。最後のほうは本当ににヘロヘロで、多分スピードも20km/h以下だったと思う。が、何とかトランジションエリアまで戻ることが出来た。




とにかく消耗していたので、水分、塩分他をエイドで補給することを考えた。トランジションエリアまで戻った後、バイクパンツを脱いだり靴を履き替えるなどの走る準備をし、ランスタート地点のエイドステーションへ向かい、梅干し、塩、おにぎりを大量に補給。すると次第に体調が回復した。塩分不足だったのかもしれない。せっかく遠くまで来て参加しているので、「少しだけでも走ろう。もし調子が戻れば1周だけ※走ってそこでリタイヤしてもよい」と考えた。

 ※ランは21kmのコースを2周する


エイドごとに水分、塩分補給を怠らず、いつもどおりゆっくり走りつづけた。エイドや沿道での掛け声・応援が本当にありがたかった。1周を終えた時点でもう少し頑張れそうだったので2周目に突入、ひたすら我慢して走り続けた。ゴール前数キロはむしろペースを上げることが出来、無事ゴールを迎えることが出来た。

ゴール後にまた地獄を迎えた。 島を挙げての大会だと思っていたが、宿泊したホテルでは20か21時を過ぎると夕食を処分してしまうとのこと。なので、ゴール後のエイドではおにぎりなど、できる限り多く食べるようにした。もう一つはバイク自走での帰路。大会会場から今回宿泊した両津地区の吉田家までの夜道約15kmを、疲れた体で荷物を担ぎながら帰った。ランをこなした後だったからか、バイクゴール前に感じていたお尻の痛さは消えていたが、体力的にかなりきつかったのでゆっくりと安全に注意を払いつつ帰った。ホテルに着いた後確認したら、やはり夕食はなく、周囲にも店はなかったので、余ったゼリーなどを食べてごまかした。

もともと美味しいのだと思うが、翌日の朝食は特に美味しくいただくことが出来た。


 


 

今回の大会は1年前と比較して約1時間遅いタイムであったこと、バイクでは途中からヘロヘロになってしまったことなどから、自分の中では大失敗の大会であったと感じていた。しかしその後気温の高さから完走率が低かったことや自分の順位を知り、成功とはいえないものの大失敗ではなかったと評価した。まだまだ改善点は多く、特にバイクは課題だらけだった。天候には左右されないローラーでのトレーニングを増やすべきと考えた。

 

また、毎回のことだが島の多くの方の協力や温かい応援に対して感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

Part5へ

Part3に戻る


にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。

にほんブログ村

2024/01/08

自分の健康づくり史Part3(マラソン、トライアスロン大会戦歴等)


健康づくり史Part3(2015.5 48歳 ~ 2015.9 48歳)
※タイムはすべてネットです



トライアスロン初ロングディスタンス
苦しみ後の雨の中のゴール


  •  2015.5(48歳)横浜トライアスロン(トライアスロン3回目、オリンピックディスタンス2回目)

総合タイム・順位 2:46:57・454/1,038

 スイム     0:42:11・915

 バイク     1:22:16・381

 ラン      0:42:30・190

年代別順位         82/208

※本大会の完走率      92.9%



都市部での大会ということもあり多分倍率は低くはないと思うが、めでたく当選したのでありがたく参加させていただく。

白いのが私のバイク。まだ時刻が早いので空いているが、この後一杯に。1年弱前の佐渡の大会で知り合った方々数名と会い、楽しく会話を交わす。

最初のスイムはあの氷川丸前に設定されたコースを2周。5月はまだ水温が低いことから、1周目の最低タイムが設定されており、そのタイムで1周目をまわってこないと2周目はスタート出来ないという安全性を考慮したルール。私はスイムがかなり苦手なため、これをクリアできないのではないかと不安に感じていたが、何とかクリアしてスイム完了。
つづくバイクは倉庫街と市街地にまたがるコースを周回。市街地に出た時、応援する人の多さにびっくり。まるでトライアスロンの東京マラソン版と感じた。応援にも押されて快調に走った。



つづくランは市街地と公園を周回するコース。こちらも多くの方が応援してくれていた。が、この日は5月としてはとても暑くて結構きつかった。大会側も塩飴などを準備してくれており、舐めるように勧めていた。

無事フィニッシュ。

私にとって初めてとなる市街地でのトライアスロン。多くの方の応援の後押しもいただき、とても楽しく参戦することが出来た。






  •  2015.9(48歳)佐渡国際トライアスロンAタイプ(トライアスロン4回目、初ロングディスタンス)

総合タイム・順位 13:49:32・395/927

 スイム     1:47:32・874

 バイク     7:05:34・305

 ラン      4:56:26・362

年代別順位         92/185

本大会Aタイプの完走率    84.7%


※スマホのデータ消失のため写真少

 

佐渡の大会自体は1年前に参加したBタイプに続き2回目であったので、勝手はある程度わかっていた。今回は宿やフェリーなどの予約開始日のFAX合戦に参戦したため、会場近くの宿を確保できた。しかし、初のロング参戦だったので、事前練習がどの程度の量であれば大丈夫なのか全くわからず、そもそも完走できるのか不安でいっぱいだった。

今回の宿は会場近くの宿だからか、宿泊者はみな参加者もしくはその関係者であった。その分宿全体がイベントで盛り上がっているような雰囲気で、隣の部屋(多分10人くらいの参加者)では大会前夜にもかかわらず酒盛りで盛り上がっていた。

宿から会場まではバイク自走で2,3分程度だった。

 

まずは大の苦手であるスイム。今回はどうせ泳ぐのは遅いので空いていた方が良いとの理由から多くの人がスタートしてからほぼ最後尾でスタートした。また、前回まっすぐ泳げなかった反省から、今回はコースに設置されているブイに沿って泳いだが、同じことを考える人は多いようで多少込み合っていた。前回は1周でよかったコースを今回は2周。結構ヘロヘロになりながらなんとかスイムフィニッシュ(写真はちょうど泳ぎ終えたところ)


トランジションエリアに戻るとバイクはほとんどなくなっていたのでおそらくほぼ最後尾と認識したうえでバイクスタート。

天気予報では午後後半から雨だったので、自宅からバイクを発送する際に普通の(アルミリムの)ホイールとカーボンホイール(雨だとブレーキが利きにくいと言われている)のどちらにするか散々迷い、結局カーボンホイールを準備した。また、今回はロングであることから、トランジションタイムの比率は相対的に低くなるので、尻痛対策としてトライアスロン用パンツの上にロードバイク用のパンツをはき、サドル部分のパッド量を大幅に増やした(結果これは正解だった)。雨は予報よりもかなり早く、多分バイクコースの半分も走っていないくらいのタイミングで、しかも結構な強さで降り始めた。カーボンホイールでの雨の中のブレーキングは思ったほど悪くはなく問題はなかったが、やはり雨に打たれながらのバイクはきつかった。何とか無事バイクフィニッシュ。

 

雨の降りだしは予報ではもっと遅かったので、ランニングシューズの上には特にビニールなどをかぶせていなかった。トランジションエリアに戻ると案の定ランニングシューズには水が溜まっておりスタート前からげんなり。。。気を取り直して準備し、ランスタート。バイクと比較すると雨の影響は小さく、雨による気温低下を考えるとむしろ雨で良かったほどであった。
しかし、さすがに疲れはたまっていたのでランは我慢との戦いであった。途中から日も暮れたが、そんな雨模様の中でも声援を送ってくれる地元の方が多くいてくれて本当にありがたかった。雨の暗い中をずっときついのを我慢しながら走っていたので、ゴール付近の明るさはものすごくまぶしく、やっとゴールした時には1年前にはロング完走など自分には絶対無理と思っていたその距離を走り切ってゴールを迎えられたうれしさがこみあげてきた。6:00にスタートして14時間弱経過しているので、ゴールは20時ころだった。

これはGarminで記録した軌跡。

真ん中の紫色の線がスイム、島の外周に沿ったピンクの線がバイク、真ん中の水色の線がラン。こうしてみるとよく完走できたなと思う。


今回は完走は危ういかもしれないと思っていた初のロングを完走できたことが何よりもの収穫であった。また、前回もそうであったように今回も島の多くの方の協力やあたたかい応援に対して、感謝の気持ちでいっぱいになった。


 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 


にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。
にほんブログ村

2024/01/07

自分の健康づくり史Part2(マラソン、トライアスロン大会戦歴等)


健康づくり史Part2(2013.6 46歳 ~ 2014.11 47歳)
※タイムはすべてネットです


佐渡トライアスロンでのバイクシーン
スイムの遅れを取り戻したいと必死だった


  •  2013.6(46歳)南アルプスフルーツトライアスロン(初トライアスロン・オリンピックディスタンス)

タイム    3:07:10

総合順位   63/177

年代別順位  23/64


日頃ランニング、ロードバイク共にやっていたが、やはり継続には目標(大会エントリー)が必要と痛感。マラソンやヒルクライムには何度か参加したが、個別の大会に参加するにはエントリーや事前調査、往復の労力などが結構負担になっていた。トライアスロンに参加すれば1回の負担で済むことから、エントリーを決断。


まずは25mすら泳げないクロールの練習が必要ということで、市民プールへ通い始めたのが2011.11。もともと水泳が得意ではなく嫌いであったことから、あまり練習もせずに当日を迎える。


案の定スイムはスタート直後から息が上がってしまい、顔を上げて平泳ぎをしないと息がきつい始末。後半は徐々にクロールを入れながらなんとか泳ぎ切る。

その後のバイクは快調に飛ばしたが、ランでは途中で水をがぶ飲みしてしまったせいか、早いうちから横っ腹が痛くなってしまい、思うように走れず。


色々あったが、何とか完走することが出来た点で、まずまずの初トライアスロンとなった。

帰りは沢山のフルーツをお土産に頂いた。



  •  2014.2(47歳)東京マラソン(フルマラソン9回目)

タイム 3:23:51


自己ベスト(3:14:49)更新を目標としていたが走りに集中できず、またトイレに2回も寄ってしまった(しかもうち1回は大)ことも影響して、記録更新は程遠い結果となってしまった。

東京マラソンも3年連続の当選で ありがたみを忘れていたのも敗因の一つと反省。











このときは同日15:30より開催されたファミリーランにも当選。この大会は小学生以下?の子供と共にビッグサイト近くの公園をスタートして2kmを走り、東京マラソンと同じゴールを目指すというもの。娘とともに参加してとても良い思い出となった。

 

  •  2014.3(47歳)板橋cityマラソン(フルマラソン10回目)

タイム 3:19:59


今回も自己ベスト(3:14:49)更新を目標としていたが叶わず。39.5kmまでは自己ベストよりも速いペースで走っていたが、35km過ぎより痛み出した横っ腹が我慢できなくなり、40kmを超えてから少し歩いてしまった。。。


  •  2014.9(47歳)佐渡国際トライアスロンBタイプ(トライアスロン2回目、初ミドルディスタンス)

総合タイム・順位 6:08:05・107/718

 スイム     0:49:45・587

 バイク     3:38:03・108

 ラン      1:40:17・61

年代別順位         25/114

※本大会Bタイプの完走率   97.8%


これまで一度トライアスロン参加経験はあったものの、雑誌主催の小さな大会であったことから、今回は初の本格的な大会、初の遠征ということで、宿や交通手段の手配、ロードバイクの配送など準備からして大変だった。勝手がわからず宿の手配タイミングも大幅に遅れたことから、会場まで20km近く離れた両津地区のホテルとなってしまい、大会当日は自転車で荷物を担いで往復した。

初めての佐渡であったので、余裕をもって金曜日に会場入り。東京から新幹線とフェリーで移動し、金曜日夕方の説明会(説明会参加が義務付けられている)に参加した。 

受付でもらった袋を見たら、小学生からの手書きのメッセージカードが入っていた。ほっこりしていて気持ちが暖かくなった。


 



トランジションエリアの写真。一番手前の白いロードバイクが私のバイク。右下の黄色いかごが各選手に割り当てられ、荷物はすべてここに入れることになっている。

周りの人の様子やバイクを見ていると皆かなり本格的で気後れした気分になった。 


大会当日はAタイプ(ロング)が先に6:00スタート。自分はBタイプ(ミドル)なので、Aタイプの参加者が泳ぐ海のほうを見ていたが、浜から見ているとブイで示されているコースはかなり沖のほうまで続いていて長そうに感じられたこと、また前回波のない湖ですら顔を上げた平泳ぎとなってしまったので、本当に海のこのコースを泳ぎ切れるのか不安でいっぱいになった(Bタイプはこのコースを1周、Aタイプは2周する)。7:30にスイムスタート。案の定スタート直後は息が苦しく、平泳ぎを織り交ぜながらのクロールとなってしまった。まっすぐ泳ぐことが出来ず、サーフボードに乗って浮いているレスキューにたびたび注意されつつ何とか2kmを泳ぎ切った。トランジションエリアに戻ると残りのバイクが少なかったので、かなり遅いほうだとわかった。

バイクは(自分としては)快調に飛ばした。多少はスイムの遅れを挽回できたと感じた。ところどころの民家の前で島の方が応援してくれており、島を挙げての大会なのだと痛感。とてもうれしく、感謝の気持ちでいっぱいになった。

 

ランも順調に進んだが、さすがに疲れがたまっていたのと、暑さできつかった。

ここでも地元の方の温かい応援を感じ、力をもらった。

何とか無事ゴール。初の本格的なトライアスロン、そして初のミドルディスタンスを完走できたことが何よりもうれしかった。

ゴール後少し休んでから、会場わきの体育館でマッサージサービスをやっていたのでありがたく受け、その後バイク自走で約20km走ってホテル帰着。

 

大会前夜は豪華な料理を前にビールを我慢(これがきつかった)したが、大会終了後は解禁。同室となった方々と大会を振り返り、楽しい食事を共にした。当然だがみな同じ趣味なので話も盛り上がり、とても楽しい夜となった。

本大会は事前練習や遠征の準備など、初めてのことだらけでとても大変だったが、とても楽しく有益な大会となった。特に、参加する前はホテルが相部屋で少々気が進まなかったが、皆全く同じ趣味なので話が弾まない訳がなく、とても楽しく過ごすことが出来たのが一番よかった。

さらにトレーニングを重ねて次はタイプA(ロングディスタンス)に参加することを心に誓った。

※同じホテルに宿泊しているタイプAに参加しているらしき方々は我々が夕食を終えてもホテルへ戻ってきておらず、その過酷さに少々恐怖を感じた。 

 

  • 2014.11(47歳)富士山マラソン(フルマラソン11回目)
タイム 3:47:23

秋の大会に出ておきたくエントリー。事前に調べて分かってはいたが、河口湖から西湖へ向かう途中の上り坂で一気にやられてしまい、酷いタイムとなってしまった。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


Part3につづく予定

Part1に戻る


にほんブログ村 アウトドアブログ キャンピングカーへ ←励みになります。応援クリックお願いします。
にほんブログ村

注目の投稿

DUCATO納車日決定

年末より納車に向けて印鑑証明や車庫証明などいろいろと書類をそろえてEURO-TOYへ送付するなど準備を進めてきました。 本日手続きの状況を確認し、納車日を決定しました。 現在乗っているW212はEURO-TOYで下取っていただくことに決めたので、納車の日に乗っていく予定です。なの...

Popular Posts